元気な75歳だが生涯現役道けわし

生涯現役を達成させるために後期高齢者75歳のわたしが日々取り組んでいる元気メニューを紹介してまいります。今は体力強化と脳及び表情の若返りがメインです。生涯現役を実現させるために見かけは実年齢より10歳若くが目標です。そのため毎日30分間筋肉強化や屈伸運動、かかと落としを行っています。最強の鍛錬法は独自の腹式呼吸で心肺機能の強化につとめています。生涯現役を叶えるためには日頃の努力が欠かせませんので人生最後の日までがんばり続けるつもりです。

感謝!守護霊様に見守られて66年だから今がある

 守護霊様(父方の祖母)が、私につかれてから今年で66年目になります。祖母は、小4の年末ぎりぎりに御霊となって我が家に上がられました。その日は奇しくも祖母が亡くなった翌日です。

 

昔は人が亡くなるとお知らせと称し、近所の人たち2~3人一組で親戚を巡ったものです。事前に電話連絡し訪問は形式的なものでした。しかし、父は次男なので客人を振舞う立場にありました。

 

問題は、祖母がなぜ私について下さったのかと言うことです。その晩は、家族揃って炬燵に入りみかんをほおばっていた時です。夜中の9時ごろ「今晩は!今晩は!」と甲高い声が聞こえ、ガラガラと玄関の開く音がしました。

私が玄関に出向くことになり、恐る恐るその場の明かりをつけました。当然のごとく玄関は鍵がかかって閉まったまま、その瞬間足がすくみました。その日以来今日に至るまで、私は何度も何度も命拾いをさせていただきました。そのうちの一つをお話しします。

 

それは小5の時でした。私は、母の言うことを振り切り、ブレーキの利かない自転車を乗り出し、小学校に向かいました。校庭を何度か回ってから家路につくことになりました。学校を出てから間もなくして急な下り坂に差しかかり、ブレーキをかけましたがスピードは一向に落ちませんでした。

 

絶体絶命に気づいたのは、線路の枕木に腹ばいになっている自分を見た時です。起き上がろうと思っても体が動きません。体が着地した時にかなり強く叩きつけられたのでしょう。その時の出血がひどく鼻を突きました。

 

その時、はるか彼方におじいさんの姿が見えました。私は必死に叫ぼうとしましたが声が出ません。間もなく汽車が来るのではないかと恐怖におののきました。気弱な私はその場に蹲ってしまったのです。

 

暫くして全身に人のぬくもりを感じました。おじいさんが、私を線路から抱き起し助け出してくれたのです。あと数分見つけてもらえなかったら、今の私はここにはおりません。その後、おじいさんが線路工夫さんだと母から教えてもらいました。しかし、私はおじいさんにお礼を言っておりません。命があるうちにお墓参りをしたいと考えております。

 

私は50歳ごろ、この時のことを思い出して近所の祈祷師や禰宜(ねぎ)さんを訪ねたものです。詳細を説明すると「あなたの守護霊様(父方のご祖母)がおじいさんに引き合わせてくれたのです」と言われました。この日以来、守護霊様はおばあちゃんだと自分に言い聞かせ、感謝しつつ生きてきました。

 

おばあちゃんのお墓参りは暫く行っておりません。コロナが落ち着いたらゆっくり伺うつもりです。私の中におばあちゃんが居てくれるだけで有難いです。ただただ感謝です。貴方は守護霊様にご興味がございますか。