中学時代の無二の親友に会いたい
私は人生の大半を一匹狼的な生き方をして来ました。どうも群れることが苦手なのです。誰にも気をつかわず、我が道を行くことが肌に合っていたのです。だから、友人はその時々信頼できる友がたった1人いればそれで満足でした。
今思えば、中学生の3年間は運送屋さんのせがれ君たった一人だけでした。彼とは馬が合い、学校の行きも帰りも毎日一緒でした。とうぜん休み時間もしかりです。彼にしてみれば私の存在が鬱陶しいと思ったことも有ると思います。でも、年の割にはできた友人で些細なことに頓着するようなところがありませんでした。私から見れば若くして慈悲深い観音様のような存在でした。それには訳があります。
彼は登校・下校のさい、道路の侵入口や三叉路そして十字路にさしかかると、カバンを脇に挟み、目を閉じて神妙な表情で祈りだすのです。それは雨が降ろうが風が吹こうが、大雪が降ろうが台風の最中でも続けられました。当時の私はその意味が分からず、彼が祈り終わるまでその場でじっと待ちました。
彼の祈りの目的が分かったのは高校生になってからです。高校はお互い別れ離れになって別々の学校に通うことになりました。そんなある日、母の使いで駅前商店街を歩いているとき偶然彼の家を見つけたのです。看板に○○運送と表記されておりました。瞬時に納得しました。「そうか、あの時の祈りは父の安全運転祈願だったのだ」。
彼とは中学卒業以降一度も会っていませんが、それでも寂しいと思ったことは有りません。2人の付き合いが完全燃焼だったからだと思います。本当の意味での無二の友でした。もし彼が存命であるならば是非会いたいものです。その節はありがとう。感謝。