死ぬまで一生所長さん
私の現役初期はのんびりとした年功序列の時代でした。次の所長はあの人がなるという予想がほぼ的中したものです。それだけに次の所長候補は大変な気の使いようでした。現所長はそんなことにはお構いなし、好き放題な日々を送っていたのです。
次の所長候補は気配りに専念、腰ぎんちゃくにならざるを得なかったのです。昼間はあまり目立つことなくそつなく仕事をこなし、夜になれば主のヨイショに徹するのです。だから昼夜を問わず「はい仰るとおりです。」が決め台詞、夜な夜な主のわきにピタリとはり付き平身低頭、涙ぐましい努力でした。
ヨイショさん願い叶って当家の主となりました。職場はさー大変、ご機嫌とりが続々増え仕事どころではありません。先を見越しての先頭争いが露骨となったのです。当家の主は、跡目争いの風景に気分をよくし内心ニンマリ状態でした。
それから数年後、退職されたヨイショ所長を囲む慰労会が行われました。元所長、酔うほどに場をわきまえず高飛車なもの言い「二次会は何処・・・○○君帰りよろしく」ときたものです。恩着せがましい一言が場の雰囲気を壊してしまったのです。私達下っ端は、予定外の三次会になだれ込んだものです。元所長は死ぬまで一生所長さんでした。人材さがしは信頼が基本だと思います。残念ながら時代が違いましたか。