役割分担!両親のたぐいまれなる愛情
亡き父母は明治生まれで、尋常小学校と高等師範学校の卒業生という珍しい組み合わせであったと聞いています。父はコツコツ頑張る努力型、母は生まれつきの大天才とのことです。
私の記憶では、父から勉強をしろと言われたことは一度もありません。我が家は大家族だったので食べるのが精いっぱい、暇が有ったら家の仕事をしなさいということでした。だから学校から帰ると畑に直行したものです。日曜日は百姓の合間に習字と算盤を教えてくれました。
母は、仕事の合間のわずかな時間を使って耳学問で勉強を教えてくれました。鶴亀算は今でも鮮明に覚えています。雨の降った日などはつきっきりで国語なども懇切丁寧に教えてくれたものです。
父からは体を使うことの大切さを、母からは頭を使うことの大切さをそれぞれ教えてもらいました。父も母も朝から晩まで働きづくめで家族のために頑張ってくれました。わたしたち兄弟姉妹はその背中を見て育ったものです。
我が家では、兄弟喧嘩はあっても夫婦喧嘩を見たことはありません。その暇さえなかったのです。父は兼業農家の主として昼間は会社勤めをし家計を支えていました。母はそれをしっかり管理していたのです。父は独学で株式投資を行い、成功を手にし母を楽にさせました。母の晩年は株の恩恵にあずかり幸せだったと思います。
いずれにしても、父と母は馬が合っていたのでしょう。生まれつきの大天才の母が百姓をいつ覚えたのか私には分かりません。たぶん、父の働く姿を見て見よう見まねで身に着けたのでしょう。ここでは父が母の先生でした。私たち兄弟姉妹は、今現在誰一人欠けることなく健在です。それも分け隔てなく育ててくれた父母のおかげです。その愛情に感謝するばかりです。合掌。